日記
孫に教えられた
高3の孫は美術に没頭しています。
夏休みの宿題も、絵を100点という伝統の課題。
今、70枚目くらいで、あと一日の滞在中に16枚描く予定とか。
で、今日はスケッチに出かけていますが、夕べ頼んでおいた作品が出来上がっていました。
私の臨書のお手本を「タイポグラフィー」で描いてもらったのです。
「タイポグラフィー」、正確な定義は知りませんが、活字の美術的表現とでも言えばいいでしょうか。
例えば、昭和の看板の字をコピーしているのですが、昭和の貧しくも活気に満ちた雰囲気まで漂っていたりします。
昨夜は中国は魏の古い石碑を拓本にしたお手本を渡しておいたところ、朝、見事な作品に仕上がっていました。
字体、字形がソックリ、線も、線と線との間隔も、縮小コピーとしか思えないような姿です。
その上、美術の表現らしく、色がついていて線の一部は「青海波」の古典的な和柄でできています。
それを見て驚き、感心しながら、とても深~く気づいたことがあります。
私は、字をちゃんと見ていない、見えていない💦
筆や墨や紙のせいにして、合うものを探すより、もっとしっかり細かく見ないといけなかった!!
見えてないものは、書けるわけありません(´;ω;`)ウゥゥ
実は昨夜、娘との会話で、私が音痴だという話から、
「音を適当に聴いてるよ。
ちゃんと聴いてないと思う」
と言われたところだったので、今さらながらショック_| ̄|○
70数年生きてきて、しっかり見ることも、聞くこともできていなかったとは💦
自己中の極み
慣れとか、思い込みって、成長の妨げなんだ。
もっと謙虚に外の刺激にオープンだったら、人生違っていたかもです。
嘆いていても仕方ない。
今から、初めての体験のように(実際、見えても聞こえてもいないかったのだから初めての体験のはず)五感も六感もフル回転させたい!!
今日の言葉:どの瞬間にも未知の物がつまっている。すべて新しい体験、いつも新しい自分。