日記
またまた寄り道 ショパンコンクール結果
たった今、ユーチューブで結果発表、審査員と入賞者4人の一言を聞いた。
多くの人(特に日本人)が期待していた反田恭平さんは2位。
直後のコメントで審査員の言葉に納得。
「求めているのは、Dazzled (まぶしい、めがくらむ)より Moved(心が動く、感動する)。」
どんなところで感動するかは、まったく十人十色。
だから、究極的には順位は決められないということ。
コンクールとなると、目立つことを聴く方も求めがち、つい、dazzling をmoved と勘違いしがち。
やはり、芸術とは、個別の表現、個別の感動。
表現に必要な技術はトップレベルの人たちが揃ったのだから、あとは「好み」
しかも、ピアニストも聴衆も、刻々と変化・成長しているのだから、昨日気に入ったものが今日も好きとは限らない。
若いピアニストと年上のピアニストの理解がどちらが優れているかも誰にも決められない。
数学や科学じゃないから、あくまでも個人の主観的判断だから。
「今」という一瞬に、演奏し、鑑賞し、感動を共有できたこと、これこそ幸せな一瞬。
その積み重ねが、素晴らしい人生を作っていく。
審査員が、
「ショパンをよく知っているつもりでも、ピアニストの見せてくれた新しい世界に、moved, amazed, dazzled 」
と言っていた。
いやあ、何より、こんな感動を世界に届けてくれたピアニストに感謝と尊敬の大拍手!!
実際、PCの前で、泣いたり、拍手したり、思わず「ブラボー」とか・・・
この異様な姿に夫も慣れてきたところで、終わってよかったかも。
人生、果てなし。
成長、無限。
今日の言葉:今日も新しい一日。
ちょっと寄り道 ショパンコンクール
ショパンコンクールのファイナリストが決まった。
ドキドキ
おお!
私がとりわけ感動した三人が揃っていた!!
ハオラオ、反田恭平、小林愛実
それで何というわけではない。
音楽は芸術だから最終的に評価はできない。
今回も、私の受容体(レセプター)を、弾いてる人の表現がどれだけ満たしてくれたか、
いわば、「好み」というオプション的な部分で選り分けただけ。
トッピングの好みがコンクールの審査員のものに似ていたというだけの話だろう。
それでも、あえて、自己満足にすぎない感想を一言でいうと、
ショパンの音楽を、
ハオラオは、素晴らしいおもちゃを残すことなく楽しんでいる
小林愛実は、自分のショパンの完璧な再生に迫っている
反田恭平は、ショパンの音楽が勝手にあふれてくる
これはあくまでも、私の独善的な断定。
技術と表現の統一されたピアニストとしては、わたしは反田さん。
少々できの良し悪しがあっても、揺るぎない安定感があって安心して陶酔していられる。
私のショパンは、人生で人が体験する根源的な感情が「怒り」以外すべて入っている。
喜び、憧れ、希望、尊敬、畏怖、郷愁、悲しみ、絶望、苦しみ。
それをどれだけ丸ごと、聴く人の感じられるレベルで伝えてくれるか。
きっと、みんな、それで好きなピアニストを選んでいるんだ。
芸術と言うのは、芸術家の創りだした丸ごとの別世界。
それがいいかどうかは他人には決められない。
芸術の社会的意義?
好きな世界が鑑賞者を慰め励ましてくれること、じゃないかなと思う。
精神の栄養剤。
しかも、いくら摂っても無尽蔵(^_-)-☆
そっか~、芸術家はやがて死ぬけど、芸術はエネルギーを出し続けて不死身なんだ!!
今日の言葉:芸術は無限の精神の栄養源
もうすぐ誕生日
「アッ」とも言わないうちに、もう神無月も半ば
気づけば、季節は移り、自然は着々と衣替え。
近くの公園ではドングリが一杯こぼれ、
お寺の庭の銀杏の木の下がベージュに染まっている。
こぼれた銀杏の実で。
数年前までは、お寺のお坊さんたちが拾い、みんなが拾い(私も)すぐなくなったのに、
今年は、コロナのせいで、お寺が散策や立ち止まりを禁止したので、
ギンナンが雨に打たれ踏みつぶされている。
何か悲しくなった。
貴重で取りっこしていたギンナンも今年は余計モノ。
何かなぁ~
何なの?
うーん、はっきり言っちゃうと、悲しみが肯定されちゃいそうで、言えない。
ショパンのせいかも。
美しいけど、悲しい。
夫にチラッと話したら、
「芸術は悲しいものだよ」と。
そうだなぁ。
命あるもの(mortal)の悲しみ。
それは、
不可能の悲しみ。
終わりの悲しみ。
死の悲しみ。
誰も避けられない運命の悲しみだ。
コンクールのピアニストも
聴いている人も
その悲しみを直視する勇気がある。
ピアニストは、それに全身全霊を捧げている。
顔をゆがめ、汗を流して、自分をコントロールしながら、その悲しみをシェアしてくれている。
悲しいのはあなただけじゃないよ。
そっか、だからこそ今が大事なんだ。
今、何を思い、何をするか、選ぶのは私。
一呼吸ごとに、さらさらと命の砂がこぼれていく。
今、生きないと!!
今日の言葉:今いるところで今やることに命を捧げるつもりで最善を尽くしたい
アニメ 『エセルとアーネスト 二人の物語』
昨日(9月3日)は2週間ぶりの出勤。
たまった仕事をランチ休憩もなしに(右手に箸、左手にマウスで)頑張った。
(私、マウスは右手ても左手も同じように使えます。)
帰宅後、疲れたけど、達成感もあって気力は充実、まだまだ何かやれそうだった。
いつも、出勤日の夜はこの調子。
つい、いろいろやってしまうので、興奮してなかなか寝付けず、次の日がグッタリ。
これをまた繰り返したくなかったので、あえて、のんびり映画を観た。
それも、アニメ。
アマゾンプライムの新作案内が来ていたのでチェック。
画像が懐かしい絵本の雰囲気だったので選んだのは、BBC制作のアニメ。
"Ethel & Ernest”
懐かしいはず、作者はレイモンド・ブリックス
『さむがりやのサンタ』や『スノーマン』の作家。
この人の両親の人生を淡々と描いた物語。
絵だけでも何度も見直したくなります。
背景も人物も同じ世界にしっかり描かれていて、
これぞアニメの原点!!
そして、批判なしに、しかも深い理解に支えられた人生の記録は、観る人の想像力を使って丸ごと別の人生を体験させてくれます。
いい映画です。
私の大好きな戯曲で映画でもおなじみの『わが町』を思い出しました。
『わが町』ソーントン・ワイルダー作(早川書房)
"Our Town" by Thornton Wilder(Penerial Crasics:Amazon)
こちらは「町」が主人公ですが、生活者の視点で町の一生(?)が淡々と描かれ、観終わった時には「私自身が住んだの町」のように思えます。
人が自分の一生を振り返ると、共有したこと、学んだこと、発見したことがいっぱいあって、感想を一口で表すことはできないでしょう。
それと同じような体験をさせてくれる映画にまた出会えました。
ジブリ、私も好きですが、(「コクリコ坂」は私の映画だと思ってるくらい)
世界観をグイグイ押し付けてくる自己主張が強い作品だと思います。
それに比べ、「見てよかった」=「生きてよかった」とイコールで結べる作品はあまり多くない気がします。
いい映画だった証拠に、昨夜はぐっすり眠れました。
今日の言葉:どんな体験も、私だけじゃない。どこかの誰かが体験済み。
映画 "Last Deal"
昨夜は、10時半から映画を観てしまった。
途中で止めるつもりだったのに、つい最後まで💦
フィンランドの画商の話。
邦題は『ラスト・ディール美術商と名前を失くした肖像画』
ネタバレになるので何も言いません。
でも、舞台は現代で、「絵が好き」「人生が好き」「人間が好き」な方にはおすすめです!!
私にはいい映画でした。
私にとっていい映画の判断基準は
☆観終った後、気分が落ち着いている。
(カタルシスがおきているということでしょうか)
☆もう一度見直したい場面がある。
(映像やセリフが心に響いた)
☆何より、登場人物が自分に思えたり、ごく身近な人に感じてしまう。
(リアリティがある)
☆一口に感想を語れない。
(世界が丸ごと表現されている)
☆未来を肯定している
(生きることを肯定している=自殺を肯定しない)
私の大好きな映画は『バベットの晩餐会』
え?
自覚はないけど、北欧が好きなのかな?
人間の弱さも強さも感じられる映画、ですかね。
いろんな種類の映画があります。
結構、何でも好きです。
観る人の求める物が表現されていれば、それなりに価値はありますよね。
求める人も10人10色、与える側も10人10色。
人に上下がないように、芸術にも上下はないです。
(上下を付けるのは、求める基準を決めた時だけです)
アマゾンプライムの見放題でいつも観てます。
今日の言葉:「世界や人生が丸ごと創り出されていて、誰でもその世界の住人になれる芸術」が最高と私は思う。