日記
秋の恵み
数日、秋晴れ。
芸術の秋と読書の秋、そして食欲の秋を堪能中!
美術展に二回。
孫の日本画と、
義息の写真展。
3年ぶりに開催の神田の古本市
つい調子に乗って8冊買ったものの、
しばらく読んで見切りをつけたものもある。
せっかく買ったのだからもう少し読もう、と文句を言いながら読んでいたら、
夫いわく、
「読む時間ももったいないよ」
確かに。
本の値段+読む時間をかけて、気に入らない本を読むのは大損💦
本だって、食べ物やファッション、人間どうしと同じに
合う・合わないは当然ある。
そして食欲の秋。
秋の収穫を次々いただく。
ミカン、サツマイモ、カボチャ、
昨日は1日で、ジャガイモ、サトイモ、柿をいただいた。
自家製もあれば、いただき物のお裾分けもある。
元は大地の恵みではあるけれど、
それをいただくまでには、大変な労力と心がこめられている。
育てて、水やりや草むしりをして、収穫作業、
発送だって骨が折れる作業。
そういう苦労と分けあう気持ちが
まるごと美味しい味になって私に届けられているんだなぁ・・・
ありがたい!!
今日の言葉:ありがとうって言いたい時って、うれしい。
懐かしの物々交換
お預かりしているお義母さまの形見のつむぎ、だいぶ少なくなってきた。
一反お預かりして、今日までに作ったのは、
パンツ、
ジャンパースカート、
ロングベスト
ロングベストは義理のお姉さま用とか。
実は頼まれたのは私の友達の友達から。
だから、いつも直接の友達が仲介してくれる。
昨日は、その友達が、彼女から頼まれたからと
自家製のカボチャを届けてくれた。
この一年ほど、どれだけ畑の収穫をいただいただろう。
友達も、いろいろお裾分けしてくれるので、
わが家の食卓がどれほど豊かになっていることか!!
手づくりや、自宅用に用意した「折り紙付き」の食品ばかりなので
金銭では手に入らない贅沢なものばかりだ。
これぞホントの、リッチな暮らし(^_-)-☆
金額とか、時給とかでは測れない、喜びと感謝の交流
嬉しいから、手作りで無理せず「ありがとう」を伝え
それが嬉しくて、またこちらも心ばかりのありがとうを贈る。
間に入ってっくれている友達にも、両方から「ありがとう」
それに、実は、もう一つ喜びがある。
それは、作る喜び
楽しんで作ったものが、誰かを喜ばせるなら、もう喜びは2倍
その上に、私たちのプレゼントごっこがある。
手作りの究極の価値は、次々と価値の連鎖を生むところ。
喜びと感謝の無限ループだ。
今日の言葉:人間らしさって、「他人が喜ぶのがうれしい」ことにある。
それが嬉しくないときは、まず自分を喜ばせてみよう。
無知の罪はもう二度とおかしたくない
2022.03.12(Sat)
戦後生まれの私にとって、初めて直面する大規模な侵略戦争が起きている。
ウクライナとここ、距離は遠いけど、地球家の家族が襲われ、わが家の西の部屋がめちゃくちゃにされているということだ。
私にとっては天災と同じ?
絶対違う。
天災の原因、闘う相手は「自然」
今回のは、「人」と「人の集団」
それなのに、私にできることは支援金ぐらい。
他に役立つことは?
力が無いということは絶望的だ。
ロシアの例を見ればよく分かるように、公共放送は偏っている。
日本も例外ではない。
今はネットのお蔭で客観的判断をする情報がたくさん届く。
そして、その情報のほとんどは、知らなければどんなに楽だったかと思える事例ばかり。
そんな情報は体に悪い。
だからと言って、知らなければ逃げられると思ったら大間違い!
ロシアの多くの人、特に高齢者は公共放送を信じ、現実を知ろうとしない。
現実に目を向け、耳を傾けるにはそれなりの能力と努力が要る。
国が意図的に国民をだまそうとしているのだから、真偽を見極める知恵もいる。
そして、知れば、不安、怒りなどに始まり、どうすべきかの迷いや苦悩も生まれる。
現実なんて知らない方が楽だ。
でも、現実は知らんぷりしている人も容赦しない。
既に、ロシアでは、現実認識の違いから親子の対立も起きている。
息子がウクライナで「殺すか殺されるか」の選択に追い込まれている。
力が無い庶民であればこそ、現実をしっかり知るべきだ。
そして、自分で考え、できることを見つけるべきだ。
そうしなければ、みんな、遅かれ早かれ現実につぶされる。
日本人は体験済み。
歴史は、世界中がこれを学ぶチャンスであふれているのに、
なんて愚かな私たちだろう( ;∀;)・・・
ウクライナの人々の生々しい情報には、鈍い心も動く。
『雨ニモマケズ』より
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
今日の言葉:知ることが幸せへの第一歩
クリスティの一文が世界の現状にピッタリ
先日、高校生とクリスティを読んでいて、こんな文に出会った。
殺人犯を恐れる女性の言葉だ。
"A madman has all the advantages on his side.
He's twice as cunning as any one sane can be."
(気狂いはあらゆる点で有利なのよ。
まともな人がいくら頑張っても、狡さにかけちゃ半分も及ばない。)
そういえば、日本語にも「気狂いに刃物」っていう諺(?)がある。
まともな人にはできないこともできちゃうのが「狂気」
狂気を止める仕組みって、不可能なのかな・・・?
狂気だから、まともな制裁とか通じないし。
「まともさ」をなんとか守ろうとするのが民主主義とも言える。
多数はまともだという「性善説」を信頼しているわけで、性善説を信頼できるのが「まとも」の証とも言える(笑)
その民主主義が(完璧な仕組みとは言えなくても)、守れていないところには、常に、狂気による支配の危険がある。
ロシアがきちんと民主主義を守れる国になりますように。
(「きちんと」と言われると世界の現状はハードル高っ💦)
今日の言葉:まともであろうとすることが社会人としての第一歩
ユーチューブのコメントにも見えた日本社会の後進性
ユーチューブやブログや、一度手を広げ、いろんな人とのつながりできてくると、自分勝手には止められない責任みたいなものがでてきた。
正に、ネットの一目、交流点としての責任。
ユーチューブチャンネル「簡単ハンドメイキング」では、最近、帽子系では外国の方のコメントが多い。
でも、ロシア語、読めない💦
コメントを丸ごと検索に放りこむと訳の分からない日本語になる。
だから、単語の区切り毎に検索すると、語句ごとの意味だけは何とか分かる。
これを何度かくりかえしているうち、前置詞らしきものや、「帽子」とか「準備」とかの名詞が見えてきた。
Ha は英語の on、 C は with、単語の始めはみんな大文字らしい。
どうやら、「キャップをかぶったところが分からない」と言っているらしい。
そう言えば、同じことを、英語で言われたこともあった。
あの時は「スミマセン、自分でかぶって見せる勇気がなくて」と書いたところ、
「あなたは日本のレディなのね」と返事がきた。
どうやら、日本の女性は「つつまし」くて人前に出ない、というずいぶん昔のイメージのまま理解されているらしい。
「違う!」って言いたいけど、仕方ないかも。
何しろ日本は女性蔑視の後進国だということが統計の数字ではっきりしたんだから。
今回の衆院選でも、女性の当選率は超低かった。
女性も含めた多くの有権者がどこかで、「女だから」にとらわれている。
その歴史的心理的糸をたぐっていくと、
男女別姓や同性婚の反対につながり、
家制度につながり、
皇室問題、へと
根は深~い_| ̄|○
女性は家の跡継ぎを生む道具!?
なんて原始的!!って思うかもしれないけど、原始時代にこんな考え方はなかった。
これは、人間が文化的に成長する過程で生まれた人為的思想に過ぎない。
腕力の強い男性が、「自分の子孫を残したいという本能」を合理化するために作った掟。
社会をおとなしく従わせるために便利な思想。
でも、それが当たり前の空気の中で育ち、暮らしてくると、簡単には脱ぎ捨てられないだろう。
だから、せめて、自覚しておくことが大事だ。
私たちは、女性蔑視という人工的な価値を植え付けられていると知っていることが大事だ。
今日の言葉:人生の改善は学びから。学びは知ることから。