日記
9月になったとたん秋の気温
9月1日、横浜は曇り、目の前の温度計は27℃
酷暑から一息つけて、今日の曇り空はありがたい。
どの季節も好きだけど、ずーっと同じだったらイヤだ。
変化があるから付き合っていかれる。
考えてみれば、人生も天候、季節と同じだ。
いくら楽しくても、ずーっとそれが続くばかりじゃ飽きるし、イヤになる。
何ごとも普段と違うから面白いし、頑張れるし、感謝もできる。
私たちは、この変化をもたらす根源の力を「神様」と名付けて、良きにつけ悪しきにつけ最後の責任を押し付けている。
人間が自然や宇宙の背後に置いたのが「神様」
自然や宇宙は科学で人間のものにできるはずだと、細かく切り刻んでいいとこ取りを続けてきた。
いいとこ取りして、快適な暮らしを求めて、ここまできた。
地球も人間も、いいとこ取りの残骸でつぎはぎだらけにして。
そろそろ気づいていいことがあるように思う。
もし「神様」がいるなら、それは、自然や宇宙、人間の姿で見えているんだと。
人間は地球の一部、地球は宇宙や自然の一部だと。
人間が人間のためにいいとこ取りしてボロボロにしたのは、自分自身だった。
くりかえされてきた季節の変化、地球の変化という大きなリズムに乗って、個体としての人間も、生まれ→成長し→死を迎える、という小さなリズムを刻んできた。
でも、ここへきて、調子がくるってしまった。
長寿を求め、快適さを求めた人間の挑戦が、自分自身を否定しつつあると認めるしかなくなった。
人間は科学の力を過信しながらも、どこかで、背後に「神様」が控える宇宙や自然を過大評価もしてきた。
人間の力でそんなに簡単に壊れるはずがないと思いたかった。
でも、現状は、天災の被害を何倍にもしてしまう人災を目の当たりにしている。
それどころか、天災そのものを引き起こしている。
人間が大きな思い違いをしてきたからだ。
私たちの自意識が、物事を理解するのにすべてを対立関係でとらえてきたからだ。
自分 ⇔ 他人
宇宙 ⇔ 地球
地球 ⇔ 人間
自然 ⇔ 人間
神 ⇔ 人間
etc.
「神様」が居ても居なくても、私たちは、現時点で、他人と地球と自然に対立するのではなく寄り添うしかないと思う。
今日の言葉:自分を救うのは自分の寛大な気持ち。