体験に基づく英語学習法
昨日、高三生のクラスでクリスティを読み終わった。
"And Then There Were None" を、一字一句漏らさず、きちんと読破した。
この作品のどこをとっても、後に続く学習者に解説できるはず。
これは自信となって、今後の英語学習を支えるだろう。
いろんな英語教室がある。
特定の試験を狙ったものから、学校英語の補習、会話教室まで。
英語を習おう、と思ったら、まずはっきりさせなければならないことが二つある。
1 目標
どんな英語の力がつけたいのか。
日常会話力?
学校受験?
資格試験?
2 現在の実力
目標としている英語力に関して、現在自分はどのくらいマスターしているか。
この二つをはっきりさせれば、どこで習えばいいかもはっきりする。
でも、ひょっとしたら、多くの人は、時流に乗って、なんとなく英語は大事、できた方がいい、と思っているのかも。
目標がはっきりしない場合は、自分が使っている日本語のどの場面、どのレベルを英語でモノにしたいのかを考えるといい。
日常生活で困らない程度でいいのなら、会話教室に行くのがおススメ。
オンラインでも一杯あるし、気軽に始められるはず。
今はやりの帰国子女の英語力は、この部分がクリアできているにすぎない。
(個人差があるので、会話力も様々だし、中には、それ以上の言語能力を育てている人もいる)
日常会話以上のレベルを求めるなら、ズバリ、英検2級以下の人はまず塾や個人指導で2級レベルはマスターすること。
(2級をとれと言っているのではない)
それ以上の力があれば、自分の知的好奇心にみあった英文をどんどん読むのが一番効果的!!
特定のテストに的を絞った勉強は、実は、「受験の傾向と対策というハウツー」なので、基本の力が無い人には無駄。
(英検2級を基準にしているのは、いろんな英語検定試験の中で、英検が一番偏りのない英語基礎力をはかっているから)
はっきり言うと、思考力、読解力、それを支える知識がなければ、「英語ペラペラ? それが?」
(例えば、海外からの視察団の通訳は、プロの同時通訳より、その専門分野の大学院生とかの方が役立っている。
ウクライナ大統領のスピーチの通訳は、日本人で政治が専門の人の方が良かったと思うーウクライナ語が分かるそういう人、居ないのかな?)
日本語が母語の私たちが他言語をモノにするには、まず日本語の読解力が不可欠。
自分の言葉で分からないことは何語でも分かりません。
というわけで、クリスティを一冊マスターした高三生。
大学生になったら、帰国子女の英語力をいずれ楽に超えていくことでしょう。
今日の言葉:言葉は道具。道具は使いよう。いい道具持ってるだけじゃ何にもならない。
無知の罪はもう二度とおかしたくない
2022.03.12(Sat)
戦後生まれの私にとって、初めて直面する大規模な侵略戦争が起きている。
ウクライナとここ、距離は遠いけど、地球家の家族が襲われ、わが家の西の部屋がめちゃくちゃにされているということだ。
私にとっては天災と同じ?
絶対違う。
天災の原因、闘う相手は「自然」
今回のは、「人」と「人の集団」
それなのに、私にできることは支援金ぐらい。
他に役立つことは?
力が無いということは絶望的だ。
ロシアの例を見ればよく分かるように、公共放送は偏っている。
日本も例外ではない。
今はネットのお蔭で客観的判断をする情報がたくさん届く。
そして、その情報のほとんどは、知らなければどんなに楽だったかと思える事例ばかり。
そんな情報は体に悪い。
だからと言って、知らなければ逃げられると思ったら大間違い!
ロシアの多くの人、特に高齢者は公共放送を信じ、現実を知ろうとしない。
現実に目を向け、耳を傾けるにはそれなりの能力と努力が要る。
国が意図的に国民をだまそうとしているのだから、真偽を見極める知恵もいる。
そして、知れば、不安、怒りなどに始まり、どうすべきかの迷いや苦悩も生まれる。
現実なんて知らない方が楽だ。
でも、現実は知らんぷりしている人も容赦しない。
既に、ロシアでは、現実認識の違いから親子の対立も起きている。
息子がウクライナで「殺すか殺されるか」の選択に追い込まれている。
力が無い庶民であればこそ、現実をしっかり知るべきだ。
そして、自分で考え、できることを見つけるべきだ。
そうしなければ、みんな、遅かれ早かれ現実につぶされる。
日本人は体験済み。
歴史は、世界中がこれを学ぶチャンスであふれているのに、
なんて愚かな私たちだろう( ;∀;)・・・
ウクライナの人々の生々しい情報には、鈍い心も動く。
『雨ニモマケズ』より
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
今日の言葉:知ることが幸せへの第一歩
クリスティの一文が世界の現状にピッタリ
先日、高校生とクリスティを読んでいて、こんな文に出会った。
殺人犯を恐れる女性の言葉だ。
"A madman has all the advantages on his side.
He's twice as cunning as any one sane can be."
(気狂いはあらゆる点で有利なのよ。
まともな人がいくら頑張っても、狡さにかけちゃ半分も及ばない。)
そういえば、日本語にも「気狂いに刃物」っていう諺(?)がある。
まともな人にはできないこともできちゃうのが「狂気」
狂気を止める仕組みって、不可能なのかな・・・?
狂気だから、まともな制裁とか通じないし。
「まともさ」をなんとか守ろうとするのが民主主義とも言える。
多数はまともだという「性善説」を信頼しているわけで、性善説を信頼できるのが「まとも」の証とも言える(笑)
その民主主義が(完璧な仕組みとは言えなくても)、守れていないところには、常に、狂気による支配の危険がある。
ロシアがきちんと民主主義を守れる国になりますように。
(「きちんと」と言われると世界の現状はハードル高っ💦)
今日の言葉:まともであろうとすることが社会人としての第一歩
不調に負けて
1,2週間、ちょっと落ち込んでた。
体調がイマイチで、やる気も起きず、冷えかな~、年だな~と・・・
元々、低体温、低血圧なので起動するのに時間はかかるタイプ。
それに、夜型なのに、朝型のブリッコしてるから、ちょっと疲れがたまったかな。
最低限の家事と仕事(注文品発送と英語教室。職場は在宅勤務中)はこなしつつ、あとはゆるゆる。
気の向くままの日々。
何をしてたかと言うと、
1 youtube や amazon prime で、オペラや映画の見放題
収穫は、バリトンの魔力を思い出せたこと。
そう言えば、私の女優20周年記念公演で、相手役を演じてくれたのは増原英也さんだった!!
二期会のバリトン。
あの時は、すごい声に包まれてすご~く幸せだったなぁ♡♡♡
年も私の息子に近くて、ホントに息子役だった!
今回は、ロシアの今は亡き国民的バリトン、ドミートリ―・ホロストフスキーに酔った。
声がスゴイのは言うもまでもないが、加えてすごい表現力、演技力、魅力と言うより魔力で、観客はもちろんオーケストラまで自分のものにしている。
余談ながら、彼は確か50代の若さで脳腫瘍のために亡くなってる。
シベリア出身。
実は、私には、この人の脳腫瘍がソ連時代の核実験と無関係とは思えないんだヽ(`Д´💢)ノ ムカーッ!!
2 大根を干してぬか漬けを作りながら、干し加減や漬け加減を色々違えて実験した。
しっかり乾燥させて漬け時間を長くすると、素朴ながら深い味わいで、より沢庵らしくなる。
3 いただきものの柚子でジャムを作った。
ジャムの甘みは「てんさい糖」なので食べ過ぎも許しちゃった。
紅茶に入れてもおいしい。
4 柚子オイルも作った。
柚子の皮をオリーブオイルに浸けて二週間放置。
皮を取り除いたら思いがけず量が減って希少価値。
でも、ドレッシングに数滴加えるだけでとてもいい香りになる。
5 庭のローズマリーで蒸留水を作ったり、ゆで水を加湿器に入れてアロマ蒸気をたてた。
蒸留水でレモン紅茶を入れたら、香ばしくてすごくおいしい!!
わが家の加湿器は水を蒸気にして出すタイプなので、水の代わりに最初は蒸留水を入れてみたけど、
蒸留水をまた熱して湯気にするという二重手間の愚かさに気づき、加湿器にはゆで汁を入れることにした。
さわやかな香り+ハーブの殺菌作用も期待してる(^_-)-☆
加湿器の水槽が汚れちゃうかもだけど、重曹で洗ってみようと思う。
6 音楽聴きながら、アロマ蒸気をたて、レモンティを入れて、書道。
最高だった( ;∀;)
4月の書道展の作品、どうしても思い通りの線が出ない💦
毎日ユーチューブで、韓国や中国の書家の手元をしつこく見て、すぐにマネをして・・・
これはもう、一か月にもなるかな。
そしたら昨日、初めて、線が書けた!と思えた。
明日土曜日、先生に見せたらまた、「あまい!」と言われるかもしれなけどね。
それは平気、もう慣れてるし。
来週からはまた、簡単ハンドメイキング、頑張る💪
今日の言葉:疲れたら休む。何でも長持ちにはケアが必要。
ファッションの力
2022.01.26(Wed)
ツイッターでこんなの見つけた!!
このモデルさん、こんなファッションに包まれているうちに、どんどん元気が出たって!!
いいなぁ、これだよね、ファッションの力。
ファッションの力は二つ
身につけた人を引き立てる。
見る人を喜ばせる。
そのためには、着る人の魅力や個性、似合う色や形などが分からないとダメ。
自分のファッションだったら、自分のことが分からないとダメ。
どんなファッションも自由だけど、せっかくだからプラスの味付けをしたいじゃん。
少なくとも、マイナスはダメ、無駄以下。
ファッショングッヅだけみて、素敵だから選ぶっていうのは止めたい。
ファッションは身につけて完成。
それまでは、身に着ける人も、グッヅも、完成品のパーツでしかない。
ファッショングッヅが好きで、デザインしたり試作したりしてるけど、その時って、グッヅというパーツを作ってるだけ。
どんな人が身につけてくれるのかを想定できないと、妙にケバかったり、仰々しかったり、コンセプトが独り歩きしちゃったり。
ここがアートとは違うところだ。
私が初めてcreema の展示即売会にエントリーした時、「クリエーターさん」て呼ばれて、一瞬「えっ!?」てなった。
そんな立派なモンになったのかな?って、気恥ずかしかった。
minne や他のところでは「作家さん」って呼ばれてるかな?
恐ろしいものでこの呼び名にも慣れちゃったけど、ふさわしい姿勢を忘れないようにしないとね。
日本語じゃ、芸術家、アーティスト、作家、クリエーター、が同じように使われる。
確かにどれも、自分のセンスで世界観を表現するという点は同じだ。
でも、芸術家やアーティストの作品は、完成品であるのに対し、
作家やクリエーターの作るものは、必ずしも完成品である必要はない。
芸術家やアーティストは作品を作り上げることが目的、出来上がったら完成。
工芸作家は使う目的、ファンションクリエーターは身に着けてもらうのが目的だ。
(ファッションショーに奇抜な作品が出てくるのは、デザイナーの中に生きるアーティストが顔を出した瞬間)
ファッションクリエータ―、作家さん、
その名に恥じぬためには、使い心地、使い勝手、使う人の気持ち、場面、そういう具体的な条件を想像して、理解できなくちゃだめだ。
これって、芝居のセリフを書いたり、訳したりするときに絶対必要なものと同じだ!!
そっか・・・
私って、そういうのが好きなのか~。
得意なんだ、と言い切る自信は全くないなぁ💦
今日の言葉:人の魅力を引き出すファッションが街にあふれたら、みんな、他人のいいところが見えるんじゃないかな。